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仏事の後の食事-お斎続き

 お斎の続きです。よく一般には、「お清め」という言い方がされます。特に、葬儀の後の食事に使われる言葉ですが、「お清め」とは、清らかにするという意味で、亡き方を「穢れ(けがれ)」とみる、「神道」の教えから生まれた言い方です。ですから、神葬祭と言って「神道」に則った葬儀の後には、「お清め」という表現も、意味があるのかもしれませんが、仏教での葬儀に、「お清め」というのは、不適切といえます。なぜなら、仏教では亡くなられた方は、尊い仏になられたのですから、「穢れ」の存在とは決してみません。
 塩や水で「清める」必要も、全くないわけです。むしろ、「清める」ということ自体、亡き方には申し訳ないことではないでしょうか。
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仏事の後の食事-お斎

 葬儀や通夜、法事の後に取る食事を「お斎(おとき)」といいます。今日はご法事の後「お斎」に呼ばれましたら、若い方から「なぜ斎という文字を使うのか」という質問がありました。あいまいな答えしかできませんでしたので、調べてみました。 
『岩波仏教辞典』によると、「お斎」とは「時」にも通じて、正午の食事を指す言葉であった。インドの仏教徒は、一日二度の食事しか取らない。ちょうど、昼に食べる食事を「斎」といった。食すべき時の食事の意味から、「斎」に「とき(時)」の読みをあてて、正午以前の食事の呼び名とした。それが、広く仏事後の食事をさす言葉となった、とありました。
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紫陽花が咲きました。 

ホームページを更新しました。

 ホームページの「作法について」の部分を入れました。今回は、念珠についてです。葬儀、法事、法要、お墓参りなどには、念珠を持ちましょう。それは、仏さまを敬う心の表れといえます。念珠の種類や扱い方は、宗派によって異なります。浄土真宗の基本を載せましたので、ご覧下さい。
 房の形状によって、男女に違いがあります。左が男性用。右が女性用です。
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帰敬式(おかみそり)

 本願寺築地別院の報恩講も今日が最終日でした。帰敬式(ききょうしき)を受けるご門徒と共に、参拝しました。帰敬式とは、「おかみそり」ともいって、浄土真宗の入門式です。ご門主から、かみそりをあてられ、三宝(仏、法、僧)に帰依(きえ)することを誓います。帰依とは、「私は仏(お釈迦様)と法(その教え)と僧(教えに生きる僧侶)を心のよりどころとして生きます」ということです。すなわち、仏教徒として生きますという表明といえます。
 ですから、帰敬式を受けた人は、法名を頂くことになります。浄土真宗では、戒名ではなく法名です。法名は、「釋○○」です。「釋」とは、お釋迦様の「釋」を一字頂いて、お釋迦様の弟子の一人となることを表します。後の○○は経典から、二文字を頂きます。
 本堂を暗くして、厳粛な中で式が行われました。これは、親鸞聖人が得度(とくど、僧侶になる式)されたのが夕方であったことにちなみます。
 帰敬式を受けることは、私の信仰が明らかになることです。信仰が明らかになるということは、歩むべき道が明らかになることです。暗闇の中では、手探りで生きてゆかねばなりません。その先に、何が待っているのか、どうなるのかも分かりません。しかし、暗闇にさす一筋の光が、我が歩むべき道を明らかにしてくれます。正しい信仰を持つということは、歩むべき道が明らかになることであり、安心して人生を歩むことが出来るのです。
 ですから、出来るだけたくさんの方に、帰敬式を受けて欲しいと思います。

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 ご門主のお言葉
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 式後のご法話
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本堂のパイプオルガン
 

峠のコスモス

 今日からお彼岸ですね。彼岸とは、あちら側の岸、すなわち、お浄土(真実なるところ、悟りの世界)をさす言葉です。私が生きてるのが、此岸であり、忍土(堪忍土)といいます。忍土とは、堪え忍ぶところの意味です。この此岸から、彼岸へこの私を渡そうとする願いと働きがあるのですね。これが、阿弥陀様の本願の船です。この船の働きによって、私はこちらの岸から、あちらの岸へ渡していただくのですね。
 秩父までお参りに行く途中、峠にコスモスが咲いていました。
「コスモスは見えぬ風の確かさを 伝えて知らす語り部の花」井上美保子
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峠のコスモス
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道ばたの彼岸花

写真に写る女性

 今日、ご法事の準備をしていると、20代の女性とそのお母さんがきて、写真を見てほしいとのこと。グアムで撮った写真に見知らぬ女性が写ってるということ。確かに、ご本人の横にうっすらと女性らしき影が見えます。近くには誰もいなかったとのこと。いろんな人に聞いたが、みんな言うことが違い、困りはてて寺にやってきたようでした。
 写真をよく見ると、如何にも何かに反射して周囲の景色が写ったように見えます。女性の後ろには、建てものの陰も見えます。デジカメ写真には、このような写り込みがあって、不思議ではありませんよといっても、納得されない様子。写真を預かってほしいというので、いいですよと受け取ると、今度はメモリーもお願いしますとのこと。私に預けると、安心されたようでした。せっかくですから、ご本尊にお参り下さいといって、お母さんとお参りしていただきました。阿弥陀様といって、いつでも見守ってくださいますよ、とお話をさせていただきました。
 帰られてから、ご本人の了解もありましたから、メモリーにある写真を見てみました。さらにその部分を拡大してみましたら、確かに若い女性が写ってるのです。プリントアウトでは切れてしまっていた端の部分に、その女性の花飾りが写っていて、さらに写真では白目をむいて、怖い顔に見えた表情が、左に視線を向けていたため、そのように見えていたことも分かりました。日本人ではなくどうもグアムの女性に見えます。たぶん、近くにあったポスターが写ったのでしょう。
 TVの影響の大なるを感じますが、必ずこのような写真を解説する人が出てきて、丁寧にこれは誰々ですといいます。しかし、根拠はなくご自身の感覚で話すことですから、違う人に聞けば違う答えが返ってきます。そらぞれ、ばらばらです。
 写真もそうですが、そこに人の姿が映っていたとしても、それは写真の世界できちんと説明が付くことばかりです。万が一、何とも説明が付かない事柄があったとしても(確かに気持ちは良くありませんが)、そのことと私の上に起こる事柄、例えば、災難であったり、病気であったり、様々な不幸な出来事であったり、それらのことと写真とのつながりはまったくないと言うことなのです。(写真をもってきた女性にもこのことを話しましたが、なかなか納得できなかったようです。よほどいろんなことを言われてきたのでしょう。)
 私の上に良いことが起こるとすれば、良いことが起こるだけの因(原因)と縁(条件、つながり、かかわり)の結果であり、悪いことが起こるとすればやはり、原因と縁との結果であるという、法則、真理があるのです。これを仏教で「縁起の法則、因縁」といいます。
 特に、悪いことが起こる原因を亡き方に向けることがあります。それをまことしやかにいう方もいます。(このことは、亡き方に対して誠に申し訳ないことです。この写真に写っている女性について、ある人は「生まれてこれなかったあなたのお姉さんですよ」といったとか。それにしては大きくなってグアムの花飾りまでつけて出てこられたのでしょうか)先に亡くなられた方を尊い仏様として仰ぐのと、災いを起こす種、原因として忌み嫌うのとでは、大変な違いがあるのです。
 仏教の教えを学ぶとは、正しいものの見方、人生の見方を学ぶということなのです。
プロフィール

艸香

浄土真宗本願寺派(西本願寺)
清凉山 西蓮寺

住職・艸香 雄道(くさか ゆうどう)
〒375-0024 群馬県藤岡市藤岡1625
Tel. 0274-22-0291
Fax. 0274-22-0335
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